離れて暮らす母を見守りたい。でも、母には母の暮らしがあって、四六時中こちらから覗かれるのは、たぶん気持ちのいいものじゃない。「見守り」と「プライバシー」は、最初、私のなかでうまく折り合いませんでした。
見守りカメラを提案して「監視されてるみたいで嫌」と断られたとき、正直ショックだったのを覚えています。でも母の側に立てば、自分の家で常にレンズを向けられているのは、落ち着かなくて当たり前ですよね。
ネットで「親 プライバシー 見守り」と調べると、「配慮しましょう」「同意を得ましょう」とは書いてあります。でも、じゃあ具体的に何をどうすれば「配慮した」ことになるのかが、いまひとつ見つかりませんでした。
この記事は、そこだけを書きます。見守りを入れると決めたあとで、親のプライバシーを実際に守るために、私が何を決めて、どこに線を引いたか。手を動かすところの話です。
なお、この記事では次のことは深掘りしません。それぞれ別の記事に譲ります。
- 親がなぜ見守りを嫌がるのか、その理由から知りたい → 見守りカメラを親が嫌がる理由と対処法
- どう切り出せば受け入れてもらえるか、会話の例が見たい → 親に見守りを説得する方法
- カメラを使わない見守りの方法そのものを知りたい → 監視っぽくない見守りの方法
親にも、見られたくない時間がある
配慮の話をする前に、ひとつ前提を置かせてください。親にも、子どもに見られたくない時間がある。 当たり前のようでいて、心配していると、これをつい忘れます。
「親子なんだから、そこまで気をつかわなくても」と思うかもしれません。私も少し、そう思っていました。
でも、知恵袋でこんなやりとりを見て、はっとしたんです。ネット環境のない実家にカメラを付けたいと相談した人に、回答者がこう返していました。
ただし親子とは言えプライベートは守らないとね。電話じゃダメなの?
Yahoo!知恵袋
相談した人は、このあと「考え直してカメラの設置はやめることにします」と書いていました。誰かに強く止められたわけでもなく、自分で気づいて引っ込めたんですね。
親を心配する気持ちと、親のプライベートを尊重する気持ち。この二つは、どちらかを捨てる話ではなくて、両方立てないといけない。配慮というのは、この「見られたくない時間がある」を認めるところから始まるんだと思います。
母で言えば、リビングでゴロゴロする時間、好きな時代劇を見ながらお菓子をつまむ時間。そんな何気ない時間まで「見られてるかも」と思わせたら、それはもう見守りじゃなくて監視だよな、と。
隠して置くより、見せて許しをもらう
配慮の第一歩は、拍子抜けするくらいシンプルでした。隠さないこと。 これに尽きます。
心配のあまり、こっそり置きたくなる気持ちはわかります。実際、知恵袋には、正直に話すと嫌がられそうだからと、カメラをたんすの上に黙って置いてみたら「意外に何も聞かれなかった」と報告している人もいました(Yahoo!知恵袋)。その場をしのぐ手としては、気持ちはすごくわかります。
でも、「バレなきゃいいじゃないか」と思ったとき、少し立ち止まってほしいんです。黙って置くというのは、裏を返せば「本人が知ったら嫌がるとわかっている」ということですよね。それはもう、配慮とは反対側にいます。もし後から見つかったら、と考えるとぞっとします。母に「信用されてなかったんだ」と思わせてしまったら、見守り以前に、親子の関係のほうが先に壊れる。
専門家も、無断や過度な監視には釘を刺しています。一人暮らしの母を心配してカメラを付けたいと相談した人に、「それはやめてください」とはっきり答えていた記事もありました。過度な監視は、かえって親子関係を壊しかねない、と(日経ビジネス)。
だから私は、面倒でも「見せて、許しをもらう」ほうを選びました。現物を母に見せて、「これを置きたいんだけど、どう?」と聞いて、納得してから置く。それだけのことです。
正直に言うと、この手順は面倒です。黙って置くほうが、その場は圧倒的に早い。でも、あとあと続いたのは、あきらかに「見せて許しをもらった」ほうでした。同意の一言があるだけで、あとで気まずくなることがなくなる。急がば回れ、でした。
見せる情報を、必要なぶんだけに絞る
次は、そもそも「何を見るか」の話です。ここが、プライバシー配慮のいちばん効くところだと思っています。
見守りと聞くと、つい「映像で全部見える状態」を思い浮かべます。でも、あなたが本当に知りたいのは何でしょうか。母が今どんな顔でテレビを見ているか、ではないはずです。「今日も元気に動いているか」。 たいていの場合、知りたいのはそれだけのはず。
だったら、受け取る情報は、その問いに答えるぶんだけでいい。自分に問い直すと、意外と削れます。
- 顔まで見たい? → いや、動いていればいい → じゃあ映像はいらない
- 何をしているか見たい? → いや、生活のリズムがわかればいい → 動きや開閉の有無で足りる
こうやって一段ずつ削っていくと、多くの人が「映像なしで足りる」ところに着地します。映像を手放すのは、見守りをあきらめることじゃありません。むしろ、母が身構えずにすむぶん、長く続けられる。私自身、映像をあきらめて、はじめて母の同意が取れました。
どの方法だとどこまでわかるのか。センサー、電球、通話といった具体的な選択肢は「監視っぽくない見守りの方法」に一覧でまとめてあるので、そちらへ。ここで言いたいのは、選ぶ前に「自分は本当は何を知りたいのか」をひとつに絞っておくと、配慮のかたちが決めやすい、ということです。
置く場所と、置かない場所を分ける
機器を決めたら、次は場所です。ここは、配慮がいちばん目に見えるところ。
線引きはシンプルで、くつろぐ場所と、裸になる場所には置かない。 具体的には、寝室、トイレの個室のなか、浴室、着替えをする場所。ここに見守り機器を向けるのは、たとえ映像の出ないセンサーでも、私はやめておきます。安否確認のためとはいえ、いちばん無防備な時間を親に差し出させることになるので。
じゃあどこに置くか。私が母の家で選んだのは、動線でした。廊下、リビングの入り口、水回りへの通り道。人は一日のうちで、必ずそこを通ります。トイレの「なか」は見なくても、トイレへ向かう廊下を一定時間だれも通らなければ「あれ?」と気づける。無防備な場所を避けても、生活のリズムはちゃんと拾えるんです。
「うちの親はカメラでもいいって言ってる」という場合もありますよね。親御さんがカメラに抵抗がなくて、顔を見て安心したいなら、カメラを選ぶのはありです。その場合の配慮は、置き場所に加えてもう少しあります。
- レンズの向きと画角を、映る範囲が最小になるように決める。玄関だけ、リビングの一角だけ、というふうに。
- 常時ではなく、動きに反応したときだけ映る、といった設定にできる機種を選ぶ。
- 親自身が、自分で電源やレンズを切れるようにしておく。
最後のひとつが、私はいちばん大きいと思っています。「いつでも自分で止められる」とわかっているだけで、見られている圧迫感はずいぶん軽くなるはずだから。主導権を親の手元に残しておく。カメラを使うなら、ここが配慮の分かれ目です。
見る頻度と録画を、親と決めておく
機器と場所が決まっても、まだ終わりではありません。むしろ、配慮がいちばん試されるのは、置いたあとの「使い方」のほうでした。
置きっぱなしにして、こちらがいつでも好きなときに覗ける状態。それは、機器の種類が何であれ、実質「常時監視」です。ここで、親と約束をひとつふたつ決めておくと、景色がずいぶん変わります。決めておくといいのは、たとえばこんなこと。
- ふだんは通知だけ見て、映像や履歴を四六時中は見ない
- 録画を残せる機器でも、その機能は使わない
- 通知を受け取るのは誰か。ほかの家族と共有するなら、親に断ってから
たいそうなルールじゃありません。でも、「見えるのは動いた時間だけ」「録画はしない」と本人に言葉で伝えてあること自体が、配慮になります。母も、「勝手にぜんぶ見られてるわけじゃないんだ」とわかって、ほっとしたようでした。
見守りに詳しい専門家が、こんなことを言っていました。
便利なものでも『誰のために、なんのために使うのか』を冷静に考えてから導入したほうがいいかもしれません
Web eclat
同じ取材記事では、常に監視されている緊張感から、親がリビングに行かなくなってしまった家庭も紹介されていました。見るために置いたはずのものが、親の生活そのものを縮めてしまう。「誰のために、なんのために」。使い方を決めるときに、そばに置いておきたい問いだと思います。
使い方の約束は、見守りを続けるうえでも効きます。介護ジャーナリストのコラムでは、センサーを入れた父親が、最初は喜んでいたのに数カ月で「見張られているようだ」と言い出し、自分で外してしまった家庭が紹介されていました(けんぽれん 健康コラム)。使い方を決めないまま、なんとなく監視の側へずるずる寄っていくと、こうなってしまう。
逆に、約束さえ守れていれば、見守りは驚くほど軽くなります。
火曜の夜、塾の終わる息子を車で迎えに行き、校舎の前で待ちながらスマホを見ると、「19:40 リビングで動き」とだけ出ている。映像は出ません。母と「見えるのは動いた時間だけ」と決めたからです。ああ、夕飯を終えてテレビでもつけたのかな。それくらいの粗さで、私にはちょうどいい。エンジンを切った車内で、ほんの少し肩の力が抜けます。
我が家がたどり着いた配慮の形【体験談】
最後に、我が家がどう落ち着いたかを書いておきます。きれいな話ではありません。
三年前、父が亡くなって母が一人になったとき、私は前置きもなく「カメラを付けさせて」と言って、「監視されてるみたいで嫌」と一蹴されました。あのときの私には、配慮のかけらもなかったと思います。母の暮らしより、自分の安心を先に置いていました。
しばらく間を置いて、やり方を変えました。次は、現物のセンサーを持って帰省して、母に見せながら話しました。「これはカメラじゃなくて、映像は映らないの。私に届くのは『動いたかどうか』だけ。お母さんが家で何してるかは、見えないよ」。そのうえで、「どこに置く?」を一緒に決めました。寝室は外して、廊下とリビングの入り口に。母は「それなら、まあいいかもね」と言ってくれました。
映像が映らないセンサーなので、そもそも私に見えるのは通知だけ。それでも「映像は見ないし、ほかの家族にも勝手には流さない」と口に出して伝えたら、母の表情がやわらいだのを覚えています。安心って、機能そのものより、そういう一言で決まる気がします。
さらにあとで、Echo Showも入れました。これは「見守り」ではなく「孫の顔が見られる機械」として。約束した時間にこちらから呼びかける使い方で、四六時中つなぎっぱなしにはしていません。母は今、自分から孫に呼びかけています。
ふり返ると、一度目と二度目の違いは、機械の種類ではありませんでした。母に見せて、一緒に決めて、「ここは見ない」と線を引いたかどうか。配慮って、結局そういう地味な手続きの積み重ねなんだと思います。
正直、我が家のやり方が唯一の正解だとは思っていません。親御さんによっては、「もっとちゃんと見ていてほしい」と望む人もいる。大事なのは、その線をどこに引くかを、親と一緒に決めることのほうです。
まとめ:配慮とは、主導権を親の手元に残すこと
プライバシーに配慮するというのは、見守りを薄くすることでも、あきらめることでもありませんでした。どこまで見るか、その線を親と一緒に引くこと。そして、いつでも止められる主導権を、親の手元に残しておくこと。私にとっては、それが「配慮」の中身でした。
もし今、見守りを入れようとしているなら、機種を選ぶ前に一つだけ、親御さんに聞いてみてください。
「これ、置いてもいい? 見えるのは、これだけだよ」
この一言があるかないかで、同じ機械でも、監視になるか見守りになるかが分かれます。急がば回れで、ここを飛ばさないことが、いちばんの近道でした。